1839 | 信州中野で郷宿(ごうやど)「松田屋」の屋号が長野県史に所載 |
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1870 | 中野騒動にて「松田屋」焼失 この頃、善光寺町に移転し、松屋という旅館名で東横町、栄町など転々として仮営業 |
1887 | 長野市県町に旅館の建設と庭園の造成に着手 |
1890 | 8月28日 犀北館(西洋風旅館業)を開業 書家巌谷一六が犀川(当時は長野駅の近くを流れていた)の北に所在するところから 「犀北館」と命名 この頃、西川春洞、長三州、中村梧竹、日下部鳴鶴等の大書道家がしばしば逗留 また、佐久間象山遺品を子息恪二郎氏未亡人静枝様より譲り受け 1965年まで所蔵(生誕200年象山余聞記載) |
1905 | 貴賓室「菊の間」を建設と同時に篆刻家初世中村蘭台による苦心の欄間額が完成 これ以降、各宮家の御利用を数多く賜る |
1906 | 善光寺忠霊殿の落慶(法要)の為、数多くの賓客がご宿泊 その折、東郷平八郎による三字額を当館にて揮毫する |
1911 | 夏目漱石(金之助)議事院(現県会議事堂)で2日間にわたる講演会の為、来長し御宿泊を受く |
1915 | 寺崎廣業画伯、当館「桐の間」の新築時に襖絵を制作 善光寺仁王門の制作のため、高村光雲、米原雲海など彫塑家が数多くご宿泊 同道した吉田芳明が「帰雁来燕」の欄間額を制作 |
1918 | 寺崎廣業画伯が来館「寒山拾得」など当館に日本画名品を残す |
1924 | 諸宮家の長期御滞留を賜る この頃、様々な宮家の御下泊あり御愛顧を賜る |
1929 | 洋画家中川紀元が同道した、東郷青児画伯によるステンドグラスが制作 |
1930 | 洋館3階建(木造モルタル造り)が竣工、モダンな和洋室が造られ 業界の注目を浴びることになる 同時に組織を株式会社化 当時の犀北館の様子は田辺聖子さんのエッセイ「篭にりんごテーブルにお茶…(角川文庫)」にも 記載されている また、中川紀元により信州の山並みをあしらった風景のステンドグラスを制作 |
1932 | 河野通勢が来館 この時、「犀北館繁栄の図(ペン画)」「朝顔と美人図(金屏風)」を残す |
1935 | 旅館森田館(現提携ホテル 庭のホテル東京)千代田区三崎町に開業 |
1938 | 旅館佐々喜(旧提携ホテル 東京グリーンホテルお茶の水)千代田区神田淡路町に開業 (現在は閉館) |
1946 | 川端康成(作家)が来館し御宿泊を受く |
1953 | 東山魁夷(画家)が来館し、その後度々の御愛顧を受く |
1958 | 第33期王将戦7番勝負第7局 升田幸三名人・王将・九段(三冠王)と大山康晴(挑戦者)が対戦し 大山の勝利となる |
1961 | 皇太子殿下・同妃殿下(今上天皇・今上皇后)御下泊(2泊)を賜る |
1965 | 岡本太郎(画家)が来館し、以後25年間の御愛顧を受く |
1977 | 鉄骨鉄筋コンクリート7階建の現在の南館が竣工 |
1978 | やまびこ国体開催。昭和天皇陛下、皇太子殿下・同妃殿下(今上天皇・今上皇后) 常陸宮殿下・同妃殿下 御下泊を賜る |
1983 | 東京グリーンホテル後楽園(現提携ホテル)開業 |
1994 | 長野ホテル犀北館へ商号変更 |
1995 | 現在の本館がグランドオープン |
1996 | 第9回長野市景観賞を受賞(本館建物) |
1998 | 長野冬季オリンピック・長野パラリンピック開催 民間施設としては初めての天皇・皇后両陛下主催のお茶会(宮中晩餐会)が 本館グランドボールルームにおいて開かれる 各国V.I.P.も御出席される 長野冬季オリンピック開催期間中はもとより、それ以降も皇族・各宮家のご下泊ご休憩を賜る |
2001 | 「婚礼パンフレット」が第15回全日本DM大賞 第6部門(サービス業部門)金賞を受賞 |
2002 | 「長野ホテル犀北館」から「THE SAIHOKUKAN HOTEL」に名称変更 |
2004 | 信州ブランド・デザイン賞2004入賞 |
2009 | 庭のホテル東京(現提携ホテル)開業 |
2010 | 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に対し、各宮家・各政府要人用御献立など80点余りを寄贈 東日本大震災ならびに長野県北部地震による被災者への支援キャンペーンを実施 長野県北部地震の被災者に対する義援金として栄村村長へ寄付 |
2011 | 県下初シャンパンバー漆舎オープン(開業時漆鮨) |